【前編】 神社界の未来を考える仕事から、ひとつの飲みものが生まれました。
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【前編】 神社界の未来を考える仕事から、ひとつの飲みものが生まれました。

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「神社声援」と書いてジンジャーエールと読みます。
だじゃれですけど‥‥
そこには、深い想いが込められています。
神社界の未来を考えた企画から、
神田明神文化交流館「EDOCCO(エドッコ)」が、
そして、神田明神の名物となる飲みもの

「神社声援」が誕生したのでした。

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お話を伺った人
右:株式会社 乃村工藝社の坂爪研一さん
神田明神文化交流館「EDOCCO」と「神社声援」のプロデューサー。
左:宗教法人 神田神社(神田明神)の岸川雅範さん
広報・資料館担当。著書に「江戸の祭礼」などがある。

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はじまりは、2014年の初秋。

━━━ そもそものはじまりから
    教えていただけますか? 

岸川: 私たちは、創建1300年記念事業を進めています。そのひとつに神田明神文化交流館の建立があって、その計画がはじまりですね。 

坂爪: 2014年の初秋でしたね。当時の権宮司(現在の清水宮司さん)から乃村工藝社へ電話をいただいて「羽生で江戸のにぎわいをつくれるなら、江戸の中心でにぎわいをつくってくれないか」と相談を受けました。僕が、地域活性化施設のプロデュース担当経験があり、また東北自動車道(上り線) 羽生パーキングエリアにある「鬼平江戸処」のプロデュースに関わっていたので、そのまま担当になりました(笑)。

━━━ 鬼平江戸処がオープンしたとき、
    そのコンセプトに驚きました。

坂爪: とても評判が良くて、多くの人たちが鬼平の世界を楽しむために羽生パーキングエリアに来てくださいました。

━━━ 鬼平は江戸が舞台、
    神田明神は
    江戸のまんなか‥‥いいですね。

坂爪: でも、すんなり進んだわけではないんです。当初の企画は却下されました(笑)。エリア的に考えて、企業参拝に絞った企画を提案したんですけど、氏子総代会で大目玉いただいて「もう二度と来るなー」という雰囲気でした。

━━━ どうして、
    却下されたのでしょうか。

坂爪: 理由は「だいこく様・えびす様・まさかど様の三柱の神様が揃ってこその神田明神なのに、商売繁昌のえびす様だけに絞った企画とは、なにごとだ」ということでしたね。

━━━ そうでしたか。

坂爪: 歴史があり、地域に根差した神田明神を愛してやまず、とても想いが熱い方々でした。

━━━ 1300年、続いた想い‥‥ですね。

新しい課題が追加に。

坂爪: そして2015年に、NHKで「25年後には全国の神社の4割が消滅してしまうかもしれない」と報道があって‥‥そのことに危機感を抱いた当時の権宮司(現在の清水宮司さん)より「神社界の未来を考えた企画にしてほしい」と追加の課題が出されました。

━━━ 重たい課題が、    
    ますます重くなったのですね。

坂爪: 神社界の未来‥‥、難しいけれど、「ひとつの動きがきっかけで大きな動きになるかもしれない」という思いはあったんです。蟻が山を崩すじゃないけど、そんなことを考えていましたね‥‥。

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コンセプトは「伝統と革新」。

━━━ その重たくなった課題を、
    どう進めていったのでしょうか。

坂爪: 氏子総代会の方々に話を聞きに行ったり、他の神社に行ったり、神社についての本を読んだりして勉強しました。それに、神田明神のお祭りやイベントには、頻繁に行きましたね。だんだんと顔見知りになっていきました(笑)。

━━━ それから、
    どうなったのでしょうか。

坂爪: 僕の後輩が言った「神田明神の魅力は『時代を超えた受容性』じゃないですか」という言葉をきっかけに「伝統と革新」というコンセプトに辿りつきました。

━━━ そうだったんですね。

坂爪: 神田明神は、長い歴史がありながらも、変化していく時代や参拝者の想いを受け止めてきました。歴史が持つ余裕というか、そういう伝統をもとに、昭和は「銭形平次」、平成は「こち亀(こちら葛飾区亀有公園前派出所)」、AKBやさまざまなアニメ、最近ではラブライブとコラボを仕掛けてきました。それは伝統があるからこそ、革新に挑めるんだと気づきました。

━━━ それで伝統と革新
    だったのですね。

坂爪: はい。それにお守りもさまざまです。神田明神の氏子地域のひとつが秋葉原ということもあり、2002年にIT関連のお守りの授与を始めたときには、新聞などで多く取り上げられたそうです。

━━━ どうして、そんなに時代を
    先駆ける力があるのでしょうか。

坂爪: 1300年の歴史のなかで同じことを続けていたら、飽きられると思うんです。江戸の中心ですし、氏子たちは江戸っ子でしたから、常に時代の変化に対応する 挑戦を続けていく必要があったんだと思います。

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神田祭は革新されてきました

━━━  神田明神さんとして
    「伝統と革新」というコンセプトを、
    どう感じられたのでしょうか。

岸川: 私たちは、伝統は革新していくものだと思っているんですよ。神田祭をご存知でしょうか。

━━━  はい、勉強しました。
    将軍さまが上覧していたお祭りで、
    天下祭りと言われていました。

岸川: 江戸時代の神田祭の神輿は二基だけで、その代わりに山車や仮装行列や造物からなる附祭(つけまつり)の行列だったのです。それが大正時代にそれぞれの町が神輿を持つようになりました。祭りの形が変わっていたのです。神田祭は、伝統が創造されてきたからこそ続いてきました。

━━━  そんな変遷があったのですね。

岸川: でも、神社は伝統的な場所というイメージが強い。その見逃されがちなところを、坂爪さんが伝統と革新として提案してくれたので、神田明神としてもしっくりきましたね。

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江戸時代は盛り場の役割も担っていました。

━━━  昔の神田明神は、どのような
     存在だったのでしょうか。

岸川: 江戸時代の神田明神は、江戸の守り神でしたけど硬いだけではなくて‥‥。門前町屋と言って境内に人が住んでいたり、矢場(射的場)やお茶屋があったり、月に3回ほどのお祭りや勧進相撲が開かれたり、盛り場の役割も担っていました。

━━━  そうだったのですね。

岸川:
神社で縁日が開かれていても不思議じゃないですよね。

━━━  確かに、そうです。

岸川: 
神田明神だけでなくて、大きな神社もそうでした。その盛り場の色合いは今よりも濃いでしょうね。

坂爪: 歴史をひもとくと神社から祭りは始まっています。そういうこともあり、神社の原点に返り「人が集まり、文化を生み出す場所を創っていこう」となっていったんです。

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神田明神文化交流館 EDOCCOが誕生。

━━━  そうして、2018年末に
    EDOCCO(エドッコ)が
    誕生しました。

岸川: はい、EDOCCOの開業式典には、伊勢の神宮、出雲大社、熱田神宮など全国80社の宮司さんに集まっていただき、祝ってもらいました。

坂爪: EDOCCOは、神田明神の境内のなかにあって、カフェ・物販エリアだけでなく、日本文化体験エリアや、多目的ホールが用意されています。ホールはイベントを想定してつくりました。

━━━  神社でイベントは、
     あまり聞きませんね。

坂爪: イベントは、人と人をつなげるきっかけになりますし、御縁をつなげる場所にもなります。これは、大国様のご利益という発想につながりますよね。また、イ ベントは、新しいものを生むきっかけにもなると思うんです。

━━━  伝統が創造されて
     革新となるという話ですね。

岸川: そうですね。伝統から革新まで、いろいろなイベントを開催しています。伝統文化芸能イベント、正月の草流華道展などの文化的な催しから、吉田兄弟&三味線フェス、奉納プロレス、商品発表会&ヒット祈願などですね。ちなみに、鈴木敏夫とジブリ展では、3週間で9万人が訪れました。

━━━  思っていたよりも、
     幅広いです。

岸川: そもそもお参りに来る人は現代人です。現代的な願いとか想いを持ってお参りにやってくるので、現代文化を受け入れてこその神社なのですよ。

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編集:簀河原由朗
撮影:井上英祐
〈後編に続きます。〉

※今回のテーマは、乃村工藝社さんの「ノムログ」でもオリジナル編集で紹介されています。ぜひ、下記リンクからごらんください。


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